当町内には2中学校、5小学校があり、いずれも遠隔地からの通学生を抱え、冬期降雪時の通学路の確保に苦慮していた。父兄は地区ごとに早朝、手作業により通学用歩道の確保を行っていた。 しかし、昭和58年度(昭和59年1月?2月)の豪雪は想像を超えるものとなり、従来の地区ごとの作業では父兄の負担が大きくなり、安全な通学路の確保ができなくなった。このことを契機として、児童・生徒の通学路確保に向け、各小学校のPTAによる地区間連携による除雪体制の組織化が行われ、PTAを主体とした父兄による通学路確保のための歩道除雪の仕組みができあがった。また、この動きと相まって、八鹿町も住民主体の除雪の支援を考える中で、関係各機関の協力を得、除雪機の貸与等現在の官民協働による除雪体制のシステムが確立された。 |