昭和55年12月半ばから降り始めた雪は年を越えた1月にも降り止まず、市内は3mを優に超える雪に埋めつくされた、いわゆる「56豪雪」を契機に当市は克雪都市を宣言した。 そんな中、克雪施設のひとつとなる流雪溝について中心市街地を対象とした流雪溝整備計画を立案し、以来20年余りに渡り流雪溝の整備を進めている。 一方、信濃川からの流雪溝用水送水施設の完成に伴い、平成7年より一部区域の供用を開始するにあたり、流雪溝は住民の利用があって初めてその機能が発揮される施設であり、その管理も住民が関わることでより一層効果的な利用が図れるものと捉え当該組織を立ち上げたものである。 例年12月中旬から翌年3月中旬までの4ヶ月間は大規模な流雪溝に関わるすべての課題に対応してもらっている。 |